まずはこちらのエントリが前提にありますので、知らない人は読んでおいてください。
→ 『大辞泉』2.0リリース。無料モデルの終息とその総括
今回の件は辞書のフリーミアム戦略がうまくいかないという証左ではないと思います。
単に一つの失敗事例ができてしまっただけ。
アプリに数千円掛けられるヘビーユーザーを狙うのか、無料・少額で済ませたいライト層を狙うのかすらはっきりさせられないまま終わってしまった。
これを辞書のフリーミアム化が間違っていた、という結論で終わらせるのは乱暴なように思うのです。
大辞泉
2,000円
販売: HMDT Co., Ltd.
iPhone/iPadに対応
ここまでのおおまかな流れ
2013年05月18日 ver1.0.0公開
1.0.0ではシステムのキモであるはずの利用可能回数が回復しないというバグがあり、15回検索したらまったく使えなくなってしまった。
2013年05月20日 リファレンス部門1位獲得
2013年05月25日 総合ランキング2位獲得(無料)
2013年05月26日 ver1.0.1公開、アップデートで使用不可になるバグあり
総合2位を達成した翌日に、深刻なバグのため配信停止。
アップデートを行ったユーザー2000人が3日間利用不能に。
(大辞泉1.0.1不具合騒動の顛末)
2013年05月29日 ver1.0.2公開、上記バグ修正
2013年11月25日 ver1.5公開、検索語共有機能コトバストリーム搭載
公開6か月目でソーシャル的な機能を搭載。
2013年12月18日 ver1.6公開、利用可能回数が15→5回へ減少。回数を50回に拡大するアドオン販売
無料で使っていたユーザーにとってはかなりの改悪となってしまった。
2014年04月08日 ver2.0公開、有料化
50回化のアドオンは無駄に?
こうした経緯を抜きにして失敗を分析するのは無理があるでしょう。
2つの大辞泉
大辞泉には小学館から出ているデジタル大辞泉と、今回のHMDT版大辞泉があります。
前者は有料、後者は無料で使えるという違いがあった。
小学館の方も製作はHMDTが担っており、競合ライバルが自社アプリというのも興味深い点です。
Pro版、Lite版という棲み分けではなく、それぞれで収益を上げようとしていたわけですから、これを抜きにしては語れません。
ヘビーユーザーを取り込む上での最大の障壁
国語辞書を積極的に使う層は、大辞林かデジタル大辞泉をすでに買っている。
まずスタートはここです。
どちらも買っていない層を狙ったものだとしても、デジタル大辞泉を購入すればHMDT大辞泉を無料でアンロックできる。
HMDT版でしか使えない2,000円のアドオンと、両方使えるデジタル大辞泉が同じ値段です。
試みは応援したいけど、積極的にHMDT版を買うメリットは私には見つけられませんでした。
ライトユーザーを取り込む上での最大の障壁
オンライン辞書と内蔵辞書があるのに、500MB以上もストレージを圧迫する辞書を使いたいと思うでしょうか。
ライバルは無料で無制限、省スペースです。
戦略の迷走
製品の購入と同等となる「利用回数の制限を解除」を、どれだけのユーザが購入してくれたか。その課金率は、ズバリ0.5%。1%いきませんでした。正直にいって、これはかなり低い。採算とれるかどうかのラインは5%程度なので、まったく届いていない。
ここまで低いと、宣伝がうまいくいかなかったとか、製品のできがどうとかの前に、戦略が間違っていたとしか言いようがないです。ここで言い切ってしまいますが、辞書アプリでのフリーミアムモデルは、戦略的に間違いでした。少なくとも、「利用回数の制限を解除」をユーザに購入してもらうビジネスモデルでは成り立ちません。
今回公表された結果は2,000円のフルプライス分のみ。
スタミナシステムでの回復を補う、いわゆる魔法石の売り上げについて触れていないのが残念です。
そこを発表しない以上は、このアプリが目指したのはフルプライス販売のみを目的としたプロモーション的な仕組み作りであり、少額・無料ユーザーに対する方針をちゃんと練っていなかったという印象がぬぐえません。
最大の問題は途中で利用回数の変更&50回拡大アドオンが発表されたこと。
50回拡大のアドオンを300円(通常600円)で販売しました。
1回しか利用していないユーザは55%、半数以上にのぼります。5回以内のユーザをカウントすると、92%になり、大部分のユーザは5回以内で問題ないんですね。
このような状況を認識した上で販売したアドオン。
50回連続で辞書を引く人ってどれだけいるんでしょうか。
これは事実上300円で使い放題にしたのに等しい。
たった300円で、継続的な100円の回復アドオンの売り上げも、2,000円フルプライスの売り上げも潰してしまったし、既に2,000円支払っていた人には残念な思いを抱かせてしまいました。
遅すぎたソーシャルな施策
誰かが検索している言葉がわかる。
誰かが書いた言葉の定義が載る。
アプリに参加はできるけど、人と人との繋がりは作れなかった。
これはソーシャルを演出できていただろうか?
まずこれらの実装に発売から半年もかかってしまったのが惜しまれる。
それまでにアプリを削除してしまったユーザーも多いことでしょう。
アプリを削除した人にもう一度使ってもらうというのは、ある意味新規を取り込むよりも難しい。
思い入れのない無料アプリなら特に。
ユーザーに売るべきは体験
ユーザーに売るべきは新しい体験であって、辞書の中身ではないでしょう。
無料版でも有料版でも同じ体験しかできないのは課金のハードルが下がらない。
課金するかしないかって判断は人間の心理状態ひとつです。
課金で制限を取り除くって感じさせてしまうと、「普通に使いたいだけなのにお金を払うのは嫌だな」って感じてしまう。
課金で機能を拡張できるって感じさせれば、お金を払ってもいいと思える。
ほんのちょっとのニュアンスで変化する。
本来であれば手書き機能が追加されるアドバンテージがあったはずなのに、それさえも小売りしてしまったのでフルプライスで買うことへのハードルは下がらなかった。
まとめ
デジタル大辞泉という重要な要素を抜きにこの件を語るのはスッキリしません。
方針が迷走したのは版元さんとのハードな交渉の結果でしょうが、これも抜きにはできないでしょう。
さて、こうやって終わったことを論ったところで正解なんてわかりませんが、こうして公開してくれた失敗を論じないことはなんだかもったいないことに思えたので、抜けてる点を補って書きました。
答えはないけど、考えることは無駄ではないです。たぶん。
HMDTさんはiOSの辞書アプリを語る上では欠かせない存在ですし、失敗したときに公表してくれるこういう姿勢もありがたいものです。
今回フリーミアムだとかソーシャルの分野ではうまくいきませんでしたが、今後の純粋にアプリで勝負する方針には期待が持てます。
いいアプリは高くても買う。
母数は少ないでしょうけど、そういった人間もおりますので、これからも頑張って開発を続けて欲しいです。